スズキ・メソードとかいう、ヴァイオリンの幼児教育を確立した人が書いた本。

なるほど~~~~、かなり面白かった。

ちょっと文章が古い感じとエキセントリックなところはあったけど、

おうち英語と共通するところや、参考になるところがいっぱいあった。

始めるのは2、3歳。

「ヴァイオリンの勉強は八、九歳にならなければできない、やらないものとされていたアメリカです。それなのに、二、三歳から始め、五歳の子どもたちをふくめた八百人の日本の子どもの、あのむずかしいバッハの二部の協奏曲をひいている情景をまのあたりに見た―その驚きがどんなに大きかったか、うなずけるわけです。」

教えるのではなく育てることだ

「みんな、教えることだけに夢中になって、育つという子どもの生命の実体を忘れている。そして、どうしたら能力が身についていくかということについて深く追求しなかった。つまり、教育の教ばかりを行なって、目的であるところの育のほうを忘れてしまった、ということです。」

この人は、1日3時間×10年=10000時間を目標にしている。

「毎日三時間のひとの三ヵ月の練習時間を、もし、毎日五分のひとがやろうとするならば、実に九ヵ年を費やさなければならない。計算すればそういうことになります。一方が三ヵ月でやることに、片方は九年かかる。りっぱな能力の育つ道理がありません。」

ここからは、おうち英語との相違点。受験英語は概ね2500~5000時間でOK。完璧なバイリンガルを目指す人以外は、10000時間は必要ない。音楽の世界は厳しい…。

「もっとりっぱに、もっとりっぱに
幼児の最初の曲は『キラキラ星変奏曲』です。家庭でそれをレコードで毎日聴かせたあと、ひくことをおそわります。ていねいに、ていねいに、けいこをします。そして、一曲がひけるようになると、こういわれます。「さあ、ひけるようになった。これから、この曲をりっぱにひけるようにするレッスンが始まるのですよ。」」

「もうじゅうぶんに、自由にひけるようになった子どもたちに、『キラキラ星変奏曲』をひかせながらいいます。「さあ、ひきながら、先生の質問に答える遊びをしよう。大きな声で返事をするんだよ。ひくのをやめてはいけないからね。」それからわたしは大きな声で、「足は何本あるの?」子どもたちはおもしろがって、いっせいに声をはり上げて答えます。「二本!」もちろん、ちゃんと正しくひきながら、これができれば、身についた能力が育っているのです。もしそのなかに、まだ能力の育っていない子がいたら、その子はひくことにせいいっぱいで、返事の声は出ません。それでも返事をしたら、ひく手がストップします。これは、ひきながら、かわいく笑いながら、わたしと遊ぶ能力が育っているのです。必ずみんなそうなっていきます。そして、この身についた能力が、能力をより高く引き上げていくのです。わたしたちは、日本語をちゃんとしゃべりながら、いろいろな仕事ができる能力が身についている。-それと同じことなのです。」

「もっと上級の子どもたちになると、テスト遊びの方法も高級になります。より高度な直感力をためし、そして育てるゲームです。「さあ用意!わたしといっしょにひいてください。この曲ですよ。」この曲といっても曲名はいわない。それを知るには、わたしがヴァイオリンをもって構えた姿勢、その気合いから感じ取るほかないのです。十人ぐらいの子どもたちは、ぴたっとわたしのとった姿勢になり、同じ気合いをこめます。そして、「ハイッ!」と、声をかけてわたしがひき始めると同時に、それと同じ曲をみんながいっせいにひきます。めったにまちがうことはありません。どの子もそのように育つのです。しかし、ときおりだれか、わたしとはちがった曲をひくことがあります。知恵が働いたためです。たぶんこの曲だろうと思う心が働く結果です。」

Don’t Think. Feel! ブルース・リーだっ!!!

「ちはやふる」のクイーン戦だっ!!!

そうか、ここが目指す世界なのか。

百人一首も、格闘技も、ヴァイオリンも、数学も、そして語学も同じ。

使う脳みそは一つ。

相手の一瞬の息の吸い込みで間合いを測る…、ママセンサーと同じだ…。

それが、最高の高みなんだ…。

百人一首を完っ璧に頭に叩き込み、読み上げの最初の一声の直前の、息の吸い込みを合図に、腕を振って、札を弾き飛ばすっ!

足し算や引き算や掛け算や割り算を、脳みそに叩き込み、無意識レベルで暗算できるようになった時(方法記憶に叩き込んだ時)、出題者の意図を読み切って、難問をスラスラ解く数学の天才に育つ…。

なるほどねぇ…。

まあ、中2の今からじゃ、難しい。

セッセとチャート式を頭に叩き込む以外、出来ることはないね。

まだ、300時間×4年=1200時間はできるさ。

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肉食獣と対峙したその瞬間、相手の能力と思考を読み切って、一瞬にして持てる能力を爆発させて、逃げ切る。それが究極の形。