東日本大震災の時はまだブログを書いてなかったな。

2011年3月11日14時46分、たまたま親子でテレビを見ているときに地震が来た。

びっくりするような映像がテレビで流れる。

HALはまだ小1なので、怖がらせないように、平静を装う。

東京の人は普通に働いていた。

夜、電車が動かずに帰れない人で街があふれた。

HALパパも困っていたけど、mixiで連絡を取りながら、家に向かって歩いていた。

途中で電車が動いて、HALパパもかろうじて帰ってきた。

ただただ、交通がマヒして、街は帰宅難民であふれたけど、取り乱す人は少なかった。

連日、信じられない光景がテレビに映る。

スーパーの食料品の棚はカラッポになった。

原発は、日に日にヤバくなる。

15日、4号機で出火。放射線量が急上昇。計画停電も始まった。

夜10時頃、ニュースを見終わったHALパパが言った。

「今すぐ、九州に帰ろう」

夜だったけど、ご近所のHALのピアノの先生に家の鍵を預け、郵便物をポストから回収するのと、数日後に届く生協の宅配を受け取って、うちの冷蔵庫の中身も好きに食べてください、とお願いした。

寝てたHALを起こして、深夜0時頃、とにかく車で羽田へ向かう。

翌16日朝、HALパパの実家に着いた。

HALパパのパパママはビックリしつつ、あたたかく迎えてくれた。

3月17日、壊れた原発に、ヘリコプターからヘロヘロと頼りなく水をぶっかける作業をテレビで見ながら、絶望しそうになるけど、HALの前では平静を装い続ける。

それでも東京ではみんな働いていた。

HALパパも単身東京に戻り、安いホテルに泊まって通勤した。

コロナで在宅勤務が一般的になったけれど、震災の時の東京では、みんな息を殺して、普通に働いていた。

計画停電で(3月14日~28日)、電気も不安定だし、放射性物質で水道水も危ない(3月23日報道)っていうのに。

ちなみに計画停電でも電車は止められないんで、ターミナル駅周辺は停電なしだったらしい。

HALママとHALが首都圏へ戻ったのは4月10日。

家に戻ったら、ピアノの先生に、生協の宅配をご近所で分け合って助かったとお礼を言われた。

なんか…記録してなかったから、あんまり詳細は覚えてなかった。コパイロット君に助けてもらって書き直した。

とにかくさ…

案外、パニックにはならないんだよ、日本人て。

頭を低くして、じっと耐えて、災害をやりすごそうとするんだよね。

シン・ゴジラは東日本大震災の時の東京の、どうしようもない沈鬱な空気感から生まれた映画だと思うんだけど、

コロナの時も、シン・ゴジラを見たなあ…、よくできた映画だなって思ったよ。

HALは小3まではファミサポさんに送迎してもらって公立の学童通いだったけど、

小4の春から学童卒業で、HALが緊急時に逃げ込める場所を増やすために、近所の塾で英語(作文)と算数を習い始めた。

子育て、いろんな人に助けてもらったなあ。