まださぁ…、国立大の中期試験(3月8日~)後期試験(3月12日~)終わってないのに、東北新幹線止まってるとかさぁ…
だいたい雪の季節に過酷な受験があるだけでも、相当に格差がある。
東京に来て知ったことは、東北の人は本当に辛抱強いということ。
これ、東海道新幹線だったらもっと大騒ぎだと思うんよ…
名古屋の人って、名古屋にいれば何も不自由しないんだけど、刺激を求める人だけが東京に挑戦するんだよね…。だからメチャクチャでも自業自得というか…。
でも東北の人って…、生活のために東京に来る人が多いんだよね…。
なんというか…すんごく真面目で口数少なくて辛抱強くて…
映画の「伊豆の踊子」とか「小さいおうち」とかを見て、なるほど、東京の2代前から大学に通ってたような人たちがどんなマインドで暮らしてるか、なんとなく理解した。
見かけ上、ずいぶん、平等な社会になったとは思うけどね…。
昭和の時代は、地方からきた無口な人たちを限界まで働かせることで何とかしてたことが…、平等な社会では維持していくことが難しくなるかな…
だからさ…
もう英語のネタがないんだよ…
おばさん愚痴ブログになってしまう…
記事と直接関係ないかもしれないんですが、最近HALママさんの記事を読んで考えてみたたことがあって…
社会階級上昇の手段として未だに英語が役に立つかどうかと考えると、時流にも時の運にもよるかな…と思います。そもそも文化的資本や経済的資本が充実した家庭の子供が身につけておくべき当然の教養としての「装飾としての英語(帰国子女風の英語)」っていう役割も大きいのかなと思います。資本がすでに揃っているからこそ、おまけの飾りとしての英語が輝きを放つのかなと思います。飾りとしての英語があったところで、そもそも文化的・経済的資本が揃っていなかったら、そこまで社会階層に上昇に役に立つものではないのかもしれません。あくまで個人の感想ですが。後は脳の構造も大きく関わってくるかとは思います(定型発達であるとかそうでないとか)。
色々試行錯誤して、たどり着いた自分なりの結論です。自分には(そして子どもにも)結局英語はいらなかったなって言う…(苦笑)
ママさんの記事洞察に富んでいて、読むのいつも楽しみにしてます。
うちの事情で言えば、私立小学校で英検を取得することを義務付けられたので始めたおうち英語ですが、結果的におうち英語に挑戦したことでHALの世界は大きく変わりました。それは英語での進学ということではなく、外国のアニメやドラマを見ることで、モノの見方が日本の常識を外れがちであったり、メキシコやキューバ系の英語の先生に出会ったことで、世界の捉え方が変わったりといったことです。今もAIアプリ相手に英語で愚痴るというワケのわからない娯楽を楽しめている様子ですし。原因と結果は本当に予測不能で、必ずしも偏差値の高い大学へ行ったり収入が上がるだけのことではなく、おうち英語によって予想外の展開を迎えることはあると思います。おうち英語をやったことで何か変わるかどうかは、死ぬまでわからないんではないでしょうか。高収入を得る手段として英語をやるなら、無駄だった、という結論もあると思うんですが、面白がってやったなら、あ~面白かった!という思い出になるわけですし。基本はまあ、あんまり無理しないでやればいいんじゃないかと思います。もうブログは息も絶え絶えですが、お付き合いくださいましてありがとうございます。