HALママは、国語だけが異様にできた。地方の進学高校でだいたい3位以内、河合塾でも中学からずっと特選クラス。センター試験は満点が狙えた。それほど勉強をしたつもりはない。塾に行って問題を解いていても、クイズを解いているようで、難しくはなかった。でも英語を含め、他の教科は一切ダメだったので、英語と国語だけで受験できる私大文系に進んだ。

未就学児の頃は保育園通いだったので就学前に文字は習わなかったけど、母が俳句をやっていて、母が詠む俳句を聞いて、一生懸命、単語が持つ微妙なニュアンスを掴もうとしていた。小学校の時はわかんない漢字があってもどんどんすっとばしてカンで本を読んでいた。中学生の時は毎日1冊、文庫本を読み切っていた。コバルトシリーズか、赤川次郎か、すちゃらかSF小説か。大好きだったのは火浦功。大学受験に至るまで、ロクに文学作品は読んでない。難しい本はまったく読んでなかった。でも大学受験までOKだった。評論でも専門的な論文でもあんまり苦労はしない。だから、国語は読めばいい、ってことが実感としてある。内容は児童文学程度でも、何でもいいから、読みまくれば国語力は上がる。

だけど、あんまり日本語脳になりすぎて、英語を受け付けなかったんではないかと思っている。文章中に「彼は」とか「彼が」という単語が頻発する文章が、気持ち悪くて仕方なかった。生理的にイヤだった。日本語だったら「奴は」とか「(名前)は」とか「あの人は」って書くのが普通だもの。目の色も肌の色も違うという、根本的に違う種である人たちが、表面的に、日本人と同じような生活をしている本の中の世界も気持ち悪くて仕方なかった。外国人なんて、テレビ以外で観たことなかったもの。理屈どうこう、文法どうこうじゃなくて、とにかく、気色悪かったんだ。

それに、日本語では圧倒的速さで読めるのに、1単語ずつ意味を調べて読む、という作業に耐えられなかった。文法や単語から習得するやり方は、結局、数学に近いと思う。だから、数学脳の人は日本の学校英語にも強いんだと思う。難関中高一貫校の子たちが、中1からはじめて中学校のうちにあっという間に2級取っちゃうのも、常識はずれの数学脳を駆使してるような気がする。英語を言語脳で習得するなら、やっぱり音や多読で入るのが自然なんだろう。だから多読は成功率が高いんだと思う。

中学から英語を始める理由としてよく言われる、「第二言語は母語の能力を超えないから、日本語力を鍛えてから、英語をやった方がいい」というのも、程度の問題で、英語を始める前に、国語力を鍛えすぎると、英語を受け付けなくなるんじゃないかと思う。でも一旦、英語力をつけたなら、国語と一緒、無理して難しい文章を読まなくても、読みまくればいいんだろうな、結局。

HALには、さほど積極的に日本語の読書をすすめてこなかった。英語のことが気になったせいでもある。でも、言葉のニュアンスには気を付けてその都度教えてやったし、読みたがる本は好きにまかせていくらでも買ったので、ある程度はHALも日本語の速読ができるし、国語の成績は良い。ネイティブの同世代の子供が読む本が読めるようになってきた今は、いい感じにすすんでいると思う。これからは、日本語でも、英語でも、読みまくればいいんだろう、きっと。