HALの様子を見てて、国語とか英語とか算数とかの土台には共通の「抽象的思考能力」があるんじゃないかと思う。

普通は母語で育てる「抽象的思考能力」が上手く育ってないと、日本語も英語もおかしくなっちゃう。でも母語で「抽象的思考能力」がよく育って厚みがあれば、第二言語にも厚みが出る。ここまではよく聞くような話。

で、この「抽象的思考能力」は普通、母語で育つから、国語力と勘違いしがちなんだけど、「抽象的思考能力」は、母語だけで育つものじゃなくて、実は、第二言語でも、数学でも、音楽でも、プログラミングでも、囲碁でも、将棋でも、育てることが出来るんじゃないかと思う。

なんでそう思ったかというと、生まれつき数学能力に長けてる人が、英語は出来るんだけど、国語が弱くなる場合があるらしいから。国語と英語だけの問題じゃなくて「抽象的思考能力」は、その上に乗っかってる数学や音楽も含めた言語に似た系統の能力の共通の土台なんじゃないかと思う。

数学的能力が生まれつき高い子が、小さい頃から算数パズルなんかにハマってすっごい速さで問題を解きまくったりすると、土台の「抽象的思考能力」が育って、英語や音楽やプログラミングも他の子より伸びる可能性が高いけど、国語に関しては、国語を使って「抽象的思考能力」を伸ばす割合が、他の子より若干少なくなるので、他の子より国語と「抽象的思考能力」の連携は若干弱くなる。…って考えたらどうだろう?「抽象的思考能力」を育てた言語と「抽象的思考能力」とが、より強く結びつきやすいんじゃないかな。会話は日本人として不自然でない程度なんだけど、ハイレベルな国語の問題は解きにくくなるみたいな。帰国生の国語の問題と同じ現象が起こってるんじゃないかな。

で、英語や国語や数学や音楽の能力を伸ばすことで、土台の「抽象的思考能力」は育つんだけど、「抽象的思考能力」を効率よく育てるには、スピード入力が有効なんじゃないかな、と思う。

なんでそう思ったかというと、HALママ自身が高校の時、国語の成績だけはめっちゃ良かったんだけど、何はともあれ、国語はスピード勝負だと思っていたから。目で文章を負うのでは遅くなるので、シャープペンの先で文章をなぞって読んでいた。そっちの方が速く読めるから。速く読みながら印もつけられるからスムーズに解答できた。大学で知り合った頭の回転の速い人は、1日に何冊も小説が読めるって言ってて、立ち読みしてる間に1冊小説を読んでしまうくらい読書速度は尋常じゃなかった。

それから、HALが、DSで北米版どうぶつの森で遊んでいた時の、文字送りの速さが尋常じゃなかった。その速さで英文読むのか…と驚愕した。あと、HALはペンギンズのDVDを2倍速で観ていた。ただでさえ早口のペンギンズなのに、2倍速って…。舌を巻く速さだ。

言語の習得にはスピードが欠かせないんじゃないかと思う。だから、ただ黙読をするより、CDで聴き読みする方が、スピードを伴うから英語力を向上させるのじゃないかと思う。多読では辞書を引かないっていうのも、入力スピードの問題かもしれない。黙読がナチュラルスピードを超えない場合は、CDの聴き読みが有効、黙読がナチュラルスピードを超えて速読できるようになったら、黙読が有効なんじゃないだろうか。

スピードの問題だと考えると、そろばんでも、物理的な限界を飛び越えた暗算が、脅威の速さを可能にすることにも納得がいく。公文や百ます計算も時間を計ってやらせるところに意味がある。陰山英男先生も、百ます計算で全教科の成績が上がると言っているらしい。HALが小3の時、はじめて100ます計算をやらせたら、やり終わったとたん、部屋中をぴょんぴょん飛び回り始めた(笑)脳が活性化するんだなぁ…って思った。フラッシュカードも、スピード芸だ。幼児は得意だから、ゲーム感覚でやるなら有効なんだろう…。ただし、フラッシュカードで使う映像記憶の力は10歳で消える幼児の期間限定特殊能力だから、IQが上がった!とか、うちの子天才!とか言ってヌカ喜びしないことだ。

小学生向けの塾で、最高10倍速で文学作品なんかを聞かせて能力を伸ばすって言うところがあるんだけど、やっぱり脳力開発にスピードは有効だって考えられてるんだろう。でも、この塾に低学年の時に通っていた子で、高学年になってからかなり学校の成績で苦戦してた子がいた。おそらく…、興味もないものを強制的に速く聞かされると、聞き流す癖がついちゃうんじゃないかと思う。

スピード入力が、馬耳東風の訓練になっちゃうか、脳力開発につながるかは、あくまで、本人が興味を持てるかどうかにかかってるんだと思う。内容がつまらなかったり、難しすぎると、耳が上滑りして逆効果になる。無理して塾でハイレベルクラスに入ったりすると上滑りして意味がないのと一緒だ。

ところでHALママは、中1時点で、国語はめっちゃ速読できたのに、英語は単語の意味を一つ一つ拾わなくてはいけなくて、それが苦痛で英語は大嫌いになった。母語のスピードと英語のスピードが違いすぎたのだ。土台の「抽象的思考能力」と国語があまりにも強力に結びついちゃって他の言語と結びつく余地がなくなったんじゃないかと思う。だから感覚的に、HALには、英語がある程度になるまで国語の速読はすすめたくなかった。でも、HALも小1の時に、低学年向けのシートン動物記を1日で10冊読んだことがあったんで、その後、たいして読書をしなかったけど、国語の心配は全くしなかった。中学になって英語も一段落した今は、そろそろ速読をやるべきだと思うけど。

HALの場合は、親が英語で語りかけたり、英語で読み聞かせをしたり、親が強制的に英語のかけ流しをしたりということは、一切なかった。効果があったと思う事は、小学校で外国人と遊んだり、オンラインで外国人とフリートークをしたり。日常的には、自分でビデオや動画を選んでバカみたいに見まくった。漫画は1日1冊ペース、ゲームはやり放題。文字ばっかりの本は、基本聴き読み。もちろんHALが好きそ~な教材を買って置いておくことは親がするんだけど。保育園・小学校・学童・家では、基本的にはすべて日本語で過ごしたので、日本語が不安定になったりノリが外国人ぽくなったりということは一切なかった。